— 樋口季一郎氏と千島防衛、占守島の戦い —
終戦直後、日本の北の最前線では
静かな緊張が続いていました。
千島列島北端の占守島。
その向こうにはカムチャツカ半島。
ソ連軍はすでに南樺太へ侵攻し、
千島列島にも進出してきていました。
この時、日本軍には
「武装解除に応じる」という大方針がありました。
しかし現場には、
もう一つの現実がありました。
もし北の防衛線が崩れれば、
北海道への進出が現実になる。
この地理を最も理解していた一人が、
北方防衛を担ってきた将軍、樋口季一郎氏でした。
樋口氏はかつて満洲でソ連軍と対峙し、
北方脅威の現実を知っていました。
そして終戦直後、
占守島守備隊は停戦命令が出るまで
防衛戦闘を続けます。
数日の戦闘。
しかしその抵抗は、
北方の進撃を容易にはさせませんでした。
戦いはやがて停まり、
日本軍は武装解除に応じます。
けれどもこの短い抵抗は、
一つの既成事実を残しました。
北海道には上陸させない。
その意思が、
境界線の現実として残ったのです。
歴史は大きな条約や会談で動くように見えます。
しかし実際には、
最前線の判断が境界を決めることがあります。
千島防衛と占守島の戦いは、
その典型でした。
そしてその背後には、
北の現実を知り尽くした将軍の認識がありました。
国境とは線ではなく、
守ろうとした人々の意志の跡なのかもしれません。
